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【予告編集】大重潤一郎監督作品

『黒 神』処女作 1970

『光りの島』1995

『風の島』1996

『縄 文』2000

『原郷ニライカナイへ―比嘉康雄の魂―』2000

『ビッグマウンテンへの道』2001

『久高オデッセイ第一部 結章』2006

『久高オデッセイ第二部 生章』2009

『久高オデッセイ第三部 風章』2015

沖縄テレビ・報道特集15/11/26

大重潤一郎監督遺作『久高オデッセイ』

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1960-70年代の軌跡

映画人生のキャリアは、19歳の時、大映作品『スパイ』(大映/1965年)で山本薩夫監督のもとで助監督をしたことから始まった。映画界入り後は、主に、ドキュメンタリー映画や科学映画で定評のある岩波映画製作所で、ドキュメンタリーの演出法を学んだ。助監督として、『地震予知への道』(東京大学/1968年)といった学術映画、また、『シップヤードの青春』(日本造船工業会/1967年)や『大阪万博』(清水建設/1969年)といった産業映画を手がけたのである。映画の師匠として、大重が師事したのは神馬亥佐雄(じんば いさお)であった。また映画人として親交のあった先輩、黒木和雄とはその時期に知り合った。

1970年には、岩波の仲間達と自主制作で劇映画『黒神』(自主映画)を完成させ、翌年から全国をまわってホールを借りつつ自主上映を展開した。1972年には記録映画『能勢』(自主映画)を制作し、ミサイル基地建設の反対運動を後押しするのに一役を買った。同年制作の環境問題を扱った記録映画『かたつむりはどこへ行った』(伊丹市)は、地方自治体の反公害映画として位置づけられ、大重ドキュメンタリーの礎石となる。すなわち、川を源流から下って撮影するという表現技法が出来上がったのである。猪名(いな)川の源流の原初的な場所から生まれた水が、下流に向かうにつれて、人間の自然への過度な干渉によって汚されている状況を描いた。ありのままの風景を淡々と記録することで、ぜんそく患者を生み出した人間の「人為的な業」を問うてゆく。

環境問題に敏感であった大重は、1974年には大島渚と出会い、ビキニ環礁の水爆実験前の姿を取材する企画を共に温める。だが結局、実現には至らなかった。さらに大重は、次世代へと叡智をつなげるものとして伝統工芸に着目し、『みすや針』(読売テレビ/1974年)や『木地師』(読売テレビ/1975年)などを記録していった。また着目すべきは、1977年に『AIZU HOLIDAY』(読売映画社/日本貿易振興会)というドキュメンタリー映画を海外向けに発表したことである。この作品は80をこえる国々で公開され、当時、「エコノミックアニマル」と揶揄されていた日本人への偏見を払拭する内容であった。会津のお盆行事を重んじて生きる日本人のメンタリティを描き、経済優先の日本人像を覆す映像……。日本人の精神性の元型を捉え直し、外国人向けの対外プレゼンテーションを意識したものである。

1970年代の大重の足跡は、反戦運動や環境問題、伝承文化といった様々な素材を映像化することで、大重ドキュメンタリーの普遍的なテーマを模索する時期であった。そして思想的な成熟を遂げる時期でもあった。しかし、劇映画であるものの『黒神』が大重ドキュメンタリーの原点となっているのは忘れてはならない。この作品が無意識的に、自然と人のかかわりと女性原理の社会を描写してゆく……という大重作品の方向性を確定したと言えよう。