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【予告編集】大重潤一郎監督作品

『黒 神』処女作 1970

『光りの島』1995

『風の島』1996

『縄 文』2000

『原郷ニライカナイへ―比嘉康雄の魂―』2000

『ビッグマウンテンへの道』2001

『久高オデッセイ第一部 結章』2006

『久高オデッセイ第二部 生章』2009

『久高オデッセイ第三部 風章』2015

沖縄テレビ・報道特集15/11/26

大重潤一郎監督遺作『久高オデッセイ』

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1990年代の軌跡

1989年、再び東京から大阪へ拠点を移し、自前の映画製作プロダクションを構えた。現在の「海プロダクション」の前身となる「UMI映画」を立ち上げたのである。上映の拠点のひとつであった神戸に転居することになり、事務所は大阪の中之島に置いた。それ以降、大重は会社経営よりも映画製作に専念するために、映画のプロジェクトごとに、スタッフを集めるという方法をとるようになった。この見本となったのは、かの大島渚プロであった。大島渚から、日本とフランスの合作である『ラ・ファントマ』を制作した体験談をネタとして、映画制作組織のありうべき姿を聞かされたのであった。「映画大国」として知られるフランス……。その提携相手のフランス側の制作会社は身軽であり、テキパキと働く中年女性一人だけしかオフィスにいなかったという。それは、「JSP」という組織のために奔走していた大重にとって、「映画製作は大きな制作会社がバックアップすることで成り立つ」と信じていた思い込みが脆くも崩れ去った瞬間でもあった。映画製作という仕事は、何も常駐スタッフを多く置かなくても遂行できると確信したのである。

1990年代は、新天地であった関西地域において、テレビドキュメンタリーを中心として制作した時期である。アナログ思考の強い大重であるが、最先端の映像機材の活用にも力をいれ、関西地域でのハイビジョン作品も先駆的な役割を果した。当時はトラック一台分もの容量のある機材を陣頭指揮して、撮影に挑んだのである。1992年から京都に伝わる祭祀を撮影・記録し続け、その時に生み出された作品が、『葵祭』(フジテレビジョン・関西テレビ/1993年)や『祇園祭』(フジテレビジョン・関西テレビ/1994年)といった佳作である。日本人の魂である伝統芸能を記録することを通じて、日本人の精神性と叡智を後世に映像として残すことに、大重は大きな使命感を抱くようになった。

一方で、大重が最も得意とした「自然の気配をフィルムに写す」という行為は続けられ、ハイビジョンカメラを使って自然遺産を記録していった。1991年には『水の心』を手がけ、ヒマラヤやインド、バリ島の水や風の流れを記録していった。人々が信仰する水の女神サラスヴァティーの気配を、自然と人が交歓する日常信仰を通じて描いたのである。大重は自然を捉える手法として「水」と「光」という対象をクローズアップするようになり、翌92年には、フジテレビジョンと関西テレビ放送がスポンサーとなって、『水の光』『風の光』(フジテレビジョン・関西テレビ/1992年)という二部作をハイビジョン実験放送用に発表した。さらに日本ナショナル・トラスト協会からの依頼を受け、日本各地の自然遺産を記録したドキュメンタリー映画を製作した。この映画の題名は、大重自身が悩みぬき、その結果、想いついたタイトルが『未来の子供たちへ』であった。自然遺産のような自然本来の姿は、未来の子供たちへと継承していかなければならない……といった大重の強い想いを伺い見ることができよう。

1995年、未曾有の犠牲者を出した「阪神淡路大震災」に遭遇し、その惨状を目の当たりにし、身をもって体験した。そこで得た経験から、自然に対する畏敬の念が益々深まり、映画作りへの意欲を燃やすこととなる。その直後、『PANARI』の制作で頓挫していた編集作業を進めた。ついに1995年の末には完成し、自然と人間のかかわりを描いた沖縄二部作、『光の島』『風の島』として全国上映されることとなった。この二部作は、自然の気配を写しこむ映画監督、すなわち「気配の魔術師」として評される切掛けとなったフィルムであり、大重の映像手法が凝縮されていると言える。大重作品は、沖縄の自然をテーマとした『光りの島』を皮切りに、自然の中における人間の立ち位置を、常に自然の側から問いかける作品を作り続けることになった。

震災経験をして以来、大重は何かに駆り立てられているように、社会的運動にも積極的に関わる事となる。例えば、1997年、述べ人数二万人を動員した平和イベント「神戸からの祈り」を鎌田東二(宗教学者)や喜納昌吉(音楽家)らと共に、震災を経験していた者たちを集め、このイベントに深く関わっている。続いて、精力的に「古層三部作」と呼ばれる『縄文』・『ビックマウンテンへの道』(The Long Walk for BIG MOUNTAIN)・『魂の原郷ニライカナイヘ』を完成させた。人々の点と点のつながりが、古層三部作を後押しする文化人たちを引き寄せ、梅原猛の思想に感化された『縄文』(福井県三方町縄文博物館/2000年)や、山尾三省が朗読をした『ビックマウンテンへの道』(自主映画/2001年)、比嘉康雄の遺言を記録した『魂の原郷ニライカナイヘ~比嘉康雄の魂~』(自主映画/2001年)などが誕生していったのである。その中でも、『魂の原郷ニライカナイヘ』は、大重の映画人生に大きな影響を与えることになった。